キリストには多くの弟子がいました。有名なのは12使徒と言われた弟子たちですが、その他にも名前の知られていない多くの弟子たちがいました。
12使徒は有名ですが、その中のヤコブとヨハネの兄弟2人にボアネルゲ(雷の子)というあだ名をつけた。
ちなみに、ペテロというのもあだ名で、「岩」という意味である。実際のペテロはおっちょこちょいで、愛すべき性格であるが、おっちょこちょいゆえの問題もたくさん起こしたのです。
彼の本名はシモンである。岩というには程遠い軽い男シモンをペテロ(岩)と呼んだのは、ユーモアであり、皮肉よりは、彼に対するイエス・キリストの愛情でもあったようである。 12弟子の中では、最年長で、後には、岩と呼ばれるのにふさわしく温厚かつ重厚で、初代の教会を代表する指導者となりました。
ペテロは、初代キリスト教会の指導者であり、パウロと並んで特別に尊敬された人物である。暴君として名高いローマ皇帝「ネロ」の時代の迫害によって殺されたと考えられている。真偽はわからないが、ペテロは磔にされて殺されるとき、イエス・キリストと同じように磔にされるのは恐れ多いということで、逆さまにして磔にしてほしいと頼んだといわれ、ペテロの「逆さ十字架」として伝説になっている。

さて、ヤコブとヨハネの兄弟に付けたボアネルゲ(雷の子)という呼び名も、ペテロと同様にあだ名である。
ヤコブとヨハネの性格の激しさ、怒りっぽさや気まぐれのために、そう呼ばれた。
普通、そう考えられている。
私は、逆に、おとなしく、気が弱いので、ユーモアや彼らに対する愛情からこのような名で呼ばれたのではないかと想像している。
しかし、どちらの説が正しいか、推測できるような明らかな情報は残念ながら残っていない。
写真はレンブラントの作による「ガリラヤ湖の嵐の中のキリスト」
兄のヤコブは、12弟子の中で最初に、キリストの死後まもなく殉教の死を遂げた。弟のヨハネは、90才近くまで生きた。12弟子の中でもっとも若かったと考えられており、最後まで生き残った人物である。そのため、初代キリスト教会を長く指導し、長老として格別に尊敬された。
さて、天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられ、ご自分の前に使いを出された。彼らは行って、サマリヤ人の町に入り、イエスのために準備した。
しかし、イエスは御顔をエルサレムに向けて進んでおられたので、サマリヤ人はイエスを受け入れなかった。
弟子のヤコブとヨハネが、これを見て言った。「主よ。私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」
しかし、イエスは振り向いて、彼らを戒められた。(ルカの福音書9章51節)
ヤコブとヨハネの「人々を焼き殺してしまいましょうか?」ということばこそ、彼らの性格の激しさを表していると考えられています。
イエス・キリストに対して拒絶の態度をとった人たちに対する怒りです。
しかし、昨今のいろいろな事件を見ていると、日ごろおとなしい目立たない人が、小学校に押し入って、子供たちを刺したり、歩行者天国で買い物やイベントを楽しむ人たちを襲って、殺傷事件を起こしています。
犯人の特徴はいずれも、おとなしい人です。気が弱い人は、自分で相手と差し向かいになって、自分考えや不満を主張します。
しかし、気が弱い人がこのような事件を起こしているのです。
ヤコブとヨハネの言葉には気が強く、荒々しい人の特徴よりも、気が弱い人の特徴が見えます。
「無法松」なら、自分で殴り込みをかけるかもしれませんが、こんなことは言わなかったと私は考えています。
これは、ヤコブとヨハネの気性の強さ、激しさを表すというよりも、気の弱さを表す出来事だと感じるのです。
そのとき、ゼベダイの子たち(ヤコブとヨハネ)の母が、子どもたちといっしょにイエスのもとに来て、ひれ伏して、お願いがありますと言った。
イエスが彼女に、「どんな願いですか」と言われると、彼女は言った。「私のこのふたりの息子が、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりはあなたの左にすわれるようにおことばをください。」(マタイの福音書20章20節)
雷のように気性の激しい兄弟が、母親に連れられて、イエスの元に行き、このような願いを母親がするのに、そのまま従うとは考えにくい。
何とか自分の息子がよい境遇になるようにという願いを持つ母親に引きずられていく気の弱い息子たち。
あるいは、気が弱く、自分で願い出ることができず、それを見かねた母親が願い出たと考えるのが自然ではないかと思われる。
キリストの十字架の死の前夜、ゲッセマネの園でイエス・キリストは弟子たちと祈りながら一夜を過ごします。
このとき、イスカリオテ・ユダに引き連れられ、人々がイエスを捕えようとやってきます。
このとき、弟子のペテロはイエス・キリストを守ろうと、そばにあった剣を抜いて、人々に襲い掛かり、一人の人の耳を切り落としたのです。もちろん、ここまでのことは聖書に書いてあります。
このとき、一緒にいたはずのヤコブとヨハネは何の抵抗もせず、ほかの12弟子とともに逃げてしまうのです。これが、ボアネルゲ(雷の子の正体です)。
気が強く荒々しいといえるのだろうか?
ヨハネが書き残した文書は、いくつも聖書の中に現存しており、ヨハネの福音書とヨハネの黙示録が有名で、他に短い手紙が3通知られている。
「初めに、ことばありき」(文語訳)という書き出しで始まる福音書は、平易な言葉で書かれているが、深遠さ、格調の高さで他に類をみない優れた文書である。
この「ことば」はイエス・キリストのことです。
よく政治家に、それは「初めに・・・ありき」だ、などと引用されるのをニュースで見ますが、むちゃくちゃな引用はやめてほしいと感じます。
ヨハネがもともと深い思索家であったのか、それともキリストとの出会いによって、怒りの子(ボアネルゲ・雷の子)が、深遠な思索家に変わったのかは定かでない。
ど多くの人の人生に深い影響を与えたかは計り知れない。文学書への引用も数えることができない。
しかし、人々に与えた影響の大きさは、雷のエネルギーも遠く及ばない。
雷のような抑えがたいエネルギーも正しく制御すれば怖くないということになるでしょうか。
余談であるが、
ダビンチコードで話題になったキリストの最後の晩餐の絵で、女性的に描かれているため、マグダラのマリアとされている人物は歴史的に、このヨハネと考えられている。新約聖書に書かれた最後の晩餐の記述から、ダビンチはヨハネ、ペテロ、裏切り者のユダの構図を決めて描いている。
ヨハネがあまりにも女性的に描かれているため、ヨハネではなく、実はマグダラのマリアであったという新説が登場したのである。 ダビンチの時代、イタリアの絵画では、若者を女性的に描くのは、きわめて普通のことであった。ひげのない若者を女性のように美少年として描くのが習慣であった。

ダビンチの描いた別の絵で、バプテスマのヨハネ(右の絵:12弟子のヨハネとは別人)がある。彼は荒々しいイメージの苦行僧のような人物であるが、まさに、マグダラのマリアと間違えられた12弟子のヨハネに負けず劣らず女性のように描かれている。
ダビンチコードのお話は、絵画史や当時の時代背景等をよく理解しない説明であり、すぐに忘れられる一過性の内容であり、秘密が暴かれたような話題にはいつも多くの人が飛びつくものである。 史実とはかけ離れた週刊誌的な内容である。
