是に其の妹伊邪那美命(いざなみのみこと)を相見むと欲(おも)ひて、 黄泉國に追い往きき。 爾(ここ)に殿のとざし戸より出で向かへし時、 伊邪那岐命(いざなきのみこと)、語らひ詔りためひしく、 「愛しき我が那邇妹の命(なにものみこと)、吾と汝と作れる國、 未だ作り意(お)へず。故、還るべし」とのりたまいき。 ・・・ 故、左の御美豆良(みみづら)に刺せる湯津津間櫛(ゆつつまぐし)の 男柱一箇とりかきて、一つ火燭して入り見たまひし時、 宇士たかれ、許呂呂きて頭には大雷居り、胸には火雷(ほのいかづち)居り、 腹には黒雷居り、陰には折雷居り、左の手には若雷居り、右の手には土雷居り、 左の足には鳴雷居り、右の足には伏雷居り、あわせて八はしらの雷神成り居りき。 (日本書紀からの抜粋) (使われている漢字は非常に古いので、入力に際し、適宜変更を加えたため、 かならずしも本来のものと同じではありません)
伊邪那岐命の全身が雷で満ちているという表現でよいのか、それとも、 雷こそが伊邪那岐命そのものであるということなのであろうか、 雷信仰が生み出した神話なのだろうか。 逆に、伊邪那岐命の強さ、力、生命力の激しさのようなものを表すのに、 雷が適切であったのだろうか。興味深い。 日本書紀の本質的なところ、物語の中心に雷が深くかかわっているのは間違いない。
そして日本書紀の雷にかかわる記事は、これだけではない。 まだまだ、たくさんある。